評価:(4.9)
原作未読・2期未視聴・ネタバレ盛々でお送りする。
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どう転んでも最高の作品
まずは結論。
最高。面白すぎる。べた褒めせざるおえない。
最高。面白すぎる。べた褒めせざるおえない。
重要なことだから2回書いているのだが、まぁそういうことだ。
これから必ず見るであろう2期が楽しみでしょうがなく、確実に原作を購入するような内容だった。
ということで、今回のレビューはどうしてこの3句という結論になったのかを書いていく。
ストーリー
まずはストーリー。
『シャドーハウス』のストーリーはとてもよく考えられていると評価する。
理由は2つあるのだが、1つ目の理由として、僕たち”視聴者”や作品に登場する”キャラクター”が思う「なぜ?」という設定が大量に埋め込まれているから。
視聴者に向けた設定で言えば、10話でエドワードがスラスラと言ったシャドーについて。
「シャドーとは擬態・模倣を得意とする寄生型の妖精」
「第一段階に生き人形を見せることで人の姿を認知し擬態させ、第二段階は生き人形のそばに置き、触れ合いによって人格を得る。そして第三段階ですす能力の覚醒と一体化、つまり生き人形の体を乗っ取り顔を得る。」『シャドーハウス』10話より引用
キャラクターに向けた設定で言えば、エミリコが書いていた【考えないノート】の内容。
「シャドーハウスって何なのでしょうか」「別棟に住む偉い方々って…」「こびりつきとは?」
『シャドーハウス』複数話より引用
これらの「なぜ?」が回を重ねるごとに少しずつ少しずつ明らかに、時に10話のように一気に明かされていく。
これが大多数の人間にとって「面白い!」という評価になるのは言うまでもない。
パクリ×1000
実はシャドーハウスのストーリー設定は大体がありきたりである。いわばパクリ。
1つ1つの設定は既に他の作品で使われている。
- お祖父様がトップ⇒大量
- 顔を奪う⇒参照
- 毒(すす)を撒いて指示に従わせる⇒コードギアス・クロスアンジュ・クロスアンジュ
上記は一例。勘のいい視聴者なら気づいたはず。
ただ、気づいた視聴者でも「つまらなかった」という感想にはならなかったはずだ。
ではどうしてそう思わなかったのか?
それはこのシャドーハウスという作品はありきたりが1000個以上かけられていて、うまい具合に混ぜ合わされているからだ。
ありきたりだとしても1000回かけたら完全オリジナルになる。
これこそがとても良く考えられていると評価した2つ目の理由である。
ここがダメ
とはいえ、よく考えられているストーリーだからこその悪いところがシャドーハウスにはある。
それは「なぜ?」を残してしまう所。
最初に書いた通り、「なぜ?」を解き明かしていくからこの作品は面白い。
でもだからこそ、「あの部分どうしてだったんだろう」シーンがあった時に、次話で引っかかってしまう。
その次話で伏線が回収されなかったら、最終話まで引きずり『シャドーハウス』という作品を100%楽しめなくなってしまう。
具体例としてはすす入りコーヒーの効果。エミリコが水を飲んだら治ったというのは過去話で説明されていたから納得出来るが、その他がダメ。
ジョン/ショーンの殴り合いで治った理由は一切説明されていない。
そして、ルイーズ/ルウとパトリック/リッキーに関しても、なぜその部分で治ったのか説明されなかった。
これが伏線なのかは、2期・原作を見ていないからわからないが、こういう1期最終話まで説明されない「なぜ?」がまだまだある。
この「なぜ?」こそがシャドーハウスという作品の悪いところだ。
とはいえ良い所でもあるから、諸刃の剣現象が起きているのが良い表現だろう。
ちなみにこの点で評価を☆0.1落としている。
【独自】かわいいエミリコによって緩和
この作品はパクリ×1000だと書いたが唯一と言っていい独自部分がある。
それはかわいい明るいキャラクターエミリコを主人公にしているところだ。
重い雰囲気で見られないというところを打ち消す主人公を入れている。
個人的にこれこそが、この作品が人気な理由と他の作品との差別化ができている部分だと考えている。
AnnictやTwitterでの感想でもかわいいキャラクターがいるから見やすかった!という意見が散見できた。
アニメにしか出来ないこと
ここからはアニメだから出来る、逆にアニメだからしなければいけないことがこのシャドーハウスではどうたったかを書いていく。
総じて最高なのには変わりない。
OP
まずはOP。最高だった。
このOPをによって、僕たちの心の準備が出来たと言っても過言ではない。
何からも邪魔されずにスッと独特の世界観に入り込めた。
是非、このボイスなしOPはこれからも他の作品で採用してほしい。神。
ED
ED。最高だった。
ReoNaさんの吐き出すようなウィスパーボイスはこの作品の雰囲気を壊さなかった。逆に「1話が終わったのか…」という余韻にひられた。
神。
声優
そのまんま。
映画『五等分の花嫁』レビューでも同じことを言ったが、キャラクターに命が宿っていた。生きていた。
少し驚いたことと言えば、声優が同じということ。ケイト・エミリコは主人公だからか差別化しているが、それ以外は同じ。
ケイト:鬼頭明里
エミリコ:篠原侑
ジョン/ショーン:酒井広大
ルイーズ/ルウ:佐倉綾音
パトリック/リッキー:川島零士
シャーリー/ラム:下地紫野
僕はシャドーハウスを視聴している中で、声優が同じということは途中まで気づいていなかった。
多分、EDがなかったら気づいていないとも思っている。
そういう気づかせない演技ができる声優を起用しているという点が最高。
BGM・演出・映像
OP・EDを含め、『シャドーハウス』というアニメは雰囲気作りが良く出来ている。
BGMはBack Graund Musicという名称通り、流れているけどそこに意識させない場を盛り上げるための裏の立役者になっていた。
映像は明るくも暗くもない謎に包まれているような雰囲気が感じられていて、より一層このシャドーハウスという作品に浸かり込めた。
思考停止をするな
- あなたの常識は本当に世の常識と乖離がないですか?
- 囚われているのではないですか?
これを作者は描きたいのかな、と思った。